東京地方裁判所 昭和34年(ワ)2656号 判決 1962年11月09日
原告兼反訴被告 金子正輝
右訴訟代理人弁護士 滝内礼作
被告兼反訴原告 西沢セイ
右訴訟代理人弁護士 成田哲雄
主文
1 原告の本訴請求を棄却する。
2 反訴被告は、反訴原告に対し昭和三四年一月二〇日以降同年一二月五日に至る間の一ヶ月について金一万二千円の割合の金員を支払え。
3 反訴原告のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は本訴および反訴を通じて五分し、その三を本訴原告の負担とし、その二を反訴原告の負担とする。
5 この判決は、第二項に限り、仮りに執行することができる。
事実
≪省略≫
理由
(本訴の判断)
一、原告が昭和三一年八月八日当時の所有者たる訴外有限会社三青荘から本件部屋を原告主張のとおり三年間借用する契約をし、これを使用してきたことは当事者間に争がない。そして、原告の本人尋問の結果によつて成立を認める甲第一号証、成立に争のない同第二号証に原告の本人尋問の結果を合せ考えれば、右契約に際し当事者間において作成された公正証書には、(1)有限会社三青荘は本件部屋を原告に賃貸し、(2)敷金六〇万円を原告から三青荘に交付し、(3)賃貸借期間中の賃料は、三青荘が右敷金を運用し、これによつて生ずる利益をもつて充当し、利益に高低があつても当事者双方異議なく、利益がなくても三青荘は原告に賃料を請求することができない、(4)原告の失火によつて本件建物が火災にかかつたときは、敷金のうち二〇万円はその賠償に充当するものとするが、類焼の場合はこの限りでない、(5)当事者は互に三ヶ月の猶予期間をもつてこの契約を解約することができ、解除または解約したときは、三青荘は原告の立退と同時に敷金六〇万円を返還するものとする旨の条項が定められており、これらの条項にしたがつて同日当事者間において敷金名義をもつて六〇万円が授受されたことを認めることができ、格別これに反する証拠はない。
二、被告が当庁昭和三三年(ケ)第一二〇八号任意競売事件で本件建物を競落し、昭和三四年一月二〇日競落許可決定をうけ、同年二月二八日所有権移転登記を経由したことは当事者間に争がなく、この事実からすれば、被告は競落代金を支払つて、本件建物の所有権を取得したものと認めるのが相当である。
三、そこで、原告は、第一項認定の本件賃貸借当事者間において授受された六〇万円を公正証書の契約条項の文言どおり法律上敷金であると主張し、これに対し被告は、第一項(3)の契約条項に敷金たる六〇万円の利用による利益の収受がなくても賃料の請求をすることができないとある点を援いて本件部屋使用の法律関係は賃貸借でない、したがつて、敷金名義で授受された六〇万円は、法律上の敷金でなく、特別な無名契約にもとづく条件附預け金または貸金であると主張するので、まずこの六〇万円の法律上の性質について考察するに、前記公正証書の記載は、この六〇万円について敷金という文言を使つてはいるが、このような場合に当事者は慣用的に不用意に既成の言葉を用いることがあるから、これをもつてその判断の一資料とするは格別、終局的な判断資料とすることは相当でない。また、本件建物の競売手続における競売期日および競落期日の公告に本件貸借の条件として「昭和三一年七月一日から向ふ三ヶ年の期限、借賃(敷金の一部を運用、其の利益を充当する約束のため算定困難につき)不明、借賃前払なし、敷金六拾万円、権利金拾万円差入れて賃借人金子正輝使用中」なる記載があることは当事者弁論の趣旨および成立に争のない乙第三号証の記載によつて認めることができるが、ここで使われている敷金という言葉も十分な法律的思考を経たものといえないから、これについても前段と同様のことがいえるのである。そこで、さらにこの六〇万円授受が決定されるに至つた経過をみるに、原告の本人尋問の結果によれば、賃貸借交渉における三青荘側提供の最初の条件は、敷金三〇万円家賃は電話附で月一五、〇〇〇円、礼金一五、〇〇〇円というにあつたこと、後敷金一〇万円を増加すれば、家賃は多少減額してもよいという申入れがあり、後さらにさきに申入れた敷金三〇万円の外に敷金を五〇万円増額するならば、家賃は無料とする旨の申入があつたこと、これに対し原告がしゆん巡の色を見せたところ、三青荘側から原告の提供すべき金員を七〇万円としうち六〇万円は部屋を出るときに返還するが、残り一〇万円は礼金として貸主側のとりきりとし、家賃は無料とする旨の申入があつて、原告これに同意し、礼金については公正証書に記載せず、その余については第一項認定のとおり契約条項が定められるに至つたことを認めることができる。証人田中彰の証言中この認定に反する部分は原告本人の供述に照して措信しない。
ところで今日の判例学説の通説的見解によれば、敷金は賃料債務担保のためにする賃借人から賃貸人に対する一定の金額の譲渡であつて、賃借人は、賃貸借終了し目的物を返還した際、延滞賃料、明渡遅延損害金の債務があるときはそれは敷金から当然に控除され、残額のみの返還請求権を取得する一種の停止条件附返還債務を伴う金銭所有権の移転と解されている。そして、当裁判所もまたこの見解を正当なものと考える。
この立場から前記敷金名義の六〇万円の性質を考えるについて、第一の問題になることは、本件部屋使用の法律関係が賃貸借にあたるといえるか、どうかということであるが、前記認定からすれば、訴外三青荘は、部屋使用の続く限り、敷金名義で交付をうけた六〇万円を運用することができ、その運用に対し利息(運用によつて生ずる利益という語が契約条項に使われているが、利益の高低、有無にかかわらない文意より利息として理解すべきものと考える)を支払うべきことを予定し(一般に敷金には利息を附さない)、その利息をもつて部屋使用の対価たる賃料と等価値なものと見合わせ、互に差引勘定で処理することが合意されているものとみることができるのである。
ここでは、敷金に対する利息と部屋の賃料とを等価とみたために、双方の金額が確定されていないけれども、かかる関係からすれば、部屋の使用は無償というをえず、明かに一種の有償契約であるとしなければならない。元来賃料は必ずしも確定の金額たることを要せず、貸主に一定の利益が与えられることが合意されておればよいと考えられるので、本件部屋の使用関係は、これを法律上賃貸借というを妨げないのである。
かくして、第二の問題は、当事者間に授受された六〇万円の法律上の性質をいかに考えるかの核心に入ることになるのであるが、第一に、前認定によれば、本件部屋の賃貸借終了し、部屋が返還された際、この金額が原告に返還されることになつている点において、敷金と似た性質をもつているが、敷金のように賃料債務担保の目的をもつていないために返還の際はなんらの控除をもうけないで、そつくりそのまま返還されることになつている点において整金と異るものがあり、第二、敷金には利息を附さないのが一般であるのにこの契約ではその利率こそ明かにしていないけれども、利息を支払うことを前提としている点において一般の敷金と明かに異るものがある。とはいえ、第三に、六〇万円に対する利息と部屋の賃料とを等価値のものとして見合わせ、差引勘定で処理していることは、賃料債務の支払確保の目的を敷金の場合よりも更に巧妙にかつ強力に達成しているといえる。しかし、敷金の法律上の本来的性格として重要なことは、さきの通説的見解からすれば、賃貸借終了の際において予想される延滞賃料債務等を敷金から当然に控除しうるとする点であつて、ここに敷金の賃料債務担保の性格が保障されているといえるのに、本件契約では支払うべき賃料債務が金額をもつて予定されず、したがつて、賃貸借終了の際この六〇万円から控除されるもののあることが期待されていないこと右に説示したとおりである。そうであつてみれば、本件で当事者間に授受された六〇万円は、とうていこれを敷金というをえないのである。
四、とすれば、本件建物についてその所有権の移転があつても、これにともないその全部または一部について存在する賃貸借の承継が生ずることあるは格別、ここに授受された六〇万円の法律関係が敷金として建物の所有権取得者に移転するとはいえない。しかるに、これと反対の見解にたつて本件建物の所有権の取得者たる被告に対し六〇万円の返還を求める原告の請求は、本件貸借が終了したか否かを判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。
(反訴の判断)
一、反訴について判断するに、反訴の趣旨は、被告は、本件部屋の賃料は月二万円が相当であり、本件建物の所有権を取得した後である昭和三四年一月二〇日以降同年一一月三〇日に至る間の賃料二〇万七七四〇円が未払であるとして、昭和三四年一二月一日原告に対し同月五日までにこれを支払うことを催告し、かつ、その不履行を停止条件とする契約解除の意思表示をしたが、原告が右催告に応じなかつたので、契約解除の効力を生じたから、本件部屋の明渡、延滞賃料及び損害金の支払を求めるというものであるが、本件部屋の賃貸借と六〇万円授受との関係が本訴の理由で説示したようなものであつてみれば、建物の所有権の移転に伴つて本件部屋の賃貸借が三青荘から被告に移転したこと被告主張のとおりであるけれども、敷金名義の六〇万円の関係が移転しない関係上、被告が本件部屋の賃貸借を承継した時からこの賃貸借は賃料額の定のないものとなり、更めて当事者間でその合意をするを要するに至つたものというべく、もしその合意が成立しないときは、当事者は裁判所にその確定を求めることができるものというべきである。ところで、被告がその主張のとおり原告に対し賃料支払の催告および停止条件附契約解除の意志表示をしたことは当事者間に争のないところであるけれども、その催告した賃料額は、被告と原告との合意にもとづくものでなく、被告の一方的意思にもとづくものであるうえ、その金額が合理的なものであつたことについてなんらの立証がないから、かかる賃料額にもとづく賃料の催告はその効なく、これを前提とする契約解除もまたその効力がないといわなければならない(後段説示のとおり賃料額を一万二千円とすることについて当事者間の合意が成立したものと認められるけれども、その合意の現実の成立は爾後のことであるばかりでなく、該賃料額からすれば反訴原告の催告は過当催告というべきであるからその効力がないという外なく、この説示の結論に変更を加える要をみない)。したがつて、本件部屋の賃貸借の解除を前提とする部屋の明渡および解除後の明渡遅滞による損害金の支払を求める部分は、理由がないという外はない。
しかし、被告は、本件訴訟において、更めて本件部屋の賃料額は月一万二千円が相当であると主張したのに対し、原告はこの相当賃料額の主張を認めた。この事実によつて判断するに、原告および被告は、本件部屋の賃貸借の当事者として本件部屋の賃料額は被告主張のとおり月一万二千円が相当であつて、賃貸借承継以後の賃料額を月一万二千円とすることを合意したものと認めるのが相当である。果してしからば、反訴請求は、被告が賃貸借を承継した昭和三四年一月二〇日以降同年一二月五日まで月一万二千円の割合の賃料の支払を求める限度において理由があるといわなければならない。
(結論)
六、よつて、本訴請求および反訴請求中前説示において理由がないとした部分をいずれも失当として棄却し、反訴請求中前説示において理由があるとした部分を正当として認容し、訴訟費用の負担について民訴八九条、九二条の規定を、仮執行の宣言について同一九六条一項の規定を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 小川善吉)